TOP > ヨコハマよみうり2014年6月号 > ヨコハマ想い vol.3 作家・小説家 辻原 登氏

ヨコハマ想い


「粗有細心『寂しい丘で狩りをする』」
作家・小説家 辻原 登氏

profile
本名は村上博。1945年生まれ、和歌山県生まれ、横浜市保土ヶ谷在住。小説家、神奈川近代文学館館長・理事長。
受賞歴
芥川龍之介賞(1990年)、読売文学賞(1999年)、谷崎潤一郎賞(2000年)、川端康成文学賞(2005年)、大佛次郎賞(2006年)、毎日芸術賞(2010年)、芸術選奨(2011年)、司馬遼太郎賞(2012年)、紫綬褒章(2012年)、伊藤整文学賞(2013年)、毎日出版文化賞(2013年)など

文字にする

 古来、物語というのは、村人たちが共同で妄想したものを、何代にも渡り語り継がれてできてきました。幾人も関わり、人間の素晴らしい知恵や、たくさんのワクワク感があってこそ、今の時代にも語り継がれます。

 現在は、物語の生まれ方が変わりました。一人の妄想が文章にされ、一つの物語、小説が生み出されていくのです。辻原登の妄想が、辻原登の作品として本になり、読者はその本を手に取ることで、今度は辻原登の妄想を楽しむことができるのです。

 皆さんの誰もがそうであるように、自由に妄想をするのはとても楽しいことです。でも、それを文章にして、その世界を表現できるかはどうかは、作家にとっては苦しみでもあります。また、同時に本として、形となっていくのはそれなりの喜びでもあるのです。

本の世界へ

 田舎のヤンチャ坊主で、砂浜でチャンバラごっこや野球をしていた少年は、中学生になってスティーヴンソンの『宝島』に出会いました。子ども向けではなく、完全版の小説です。

 こんな楽しい世界があるのかと衝撃を受け、一気に本好きに変身をしました。

 やがて、自分もこんな作品が書ける作家になりたいと思うようになり、15歳の時に家を出て、24歳まで一人で暮らしました。育った場所は自然豊かなところでしたが、「ここにいたら小説家になれない」と思ったのです。一人でいる時間。その時、私の妄想の世界は広がったのかもしれません。

食っていけるか

 大阪に本社のある貿易会社に就職し、神戸に住みました。ずっと仕事をしながら小説を書いていましたが、小説家としては、やはり東京近辺にいたいと思い、21年前に、社長に頼み込んで横浜に転勤させてもらったのです。

 1990年、『村の名前』という小説で芥川賞を受賞したものの、純文学なので、なかなか本が売れない。専任で作家業というわけにはいかず、仕事を続けながらの作家生活でした。

 転機は、読売新聞の連載『翔べ麒麟』が決まった時でしょう。読売新聞としては、ずいぶん思い切ったものです。一年半、連載が続き「辻原は、新聞連載も書ける」ということで、いろいろと注文も来るようになりました。ようやく作家としてやっていけると実感したと同時に、ここで踏ん張らねばという思い。とうとう仕事を辞め、作家として専念し始めたのです。

横浜想い

 横浜に来た当初は、横浜の悪口ばかり言っていました(笑)。以前住んでいた神戸がとても魅力的な街でしたので、比較していたのです。でも6、7年前くらいから横浜大好き人間になりました。

 横浜は、同じ港街でも神戸とは地の利も、歴史も文化もまったく違う街。横浜の奥深さに気が付いて、今は横浜の良さを語っています。私の作品でもたびたび出てきます。

 そして、ここ。神奈川近代文学館は、世界一ロケーションが良い文学館です。蔵書数も多く、作家の生原稿などの資料、歴史、文化的財産も豊富で、展示内容も素晴らしい場所です。おもしろい企画展も行っていますので、市民の皆様にもぜひ足を向けていただき、こんな素晴らしい場所が横浜にあることを知っていただきたいです。


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