TOP > 地域情報紙 > ヨコハマ想い vol.6 サウンドクリエーター CRAZY KEN BAND 横山 剣氏

ヨコハマ想い


「DON'T THINK FEEEEEEL!! イイネ!!」
サウンドクリエーター
CRAZY KEN BAND 横山 剣氏

profile
1960年、横浜市生まれ。歌手、作曲家、プロデューサー、CRAZY KEN BANDのボーカル。音楽事務所代表取締役。横浜市中区本牧在住。

イカしたファッションを着こなして、クールに取材場所にやってきた。
少し照れた挨拶の後は、134号線をドライブするように、楽しそうに話を始めた。
男が惚れる男、横山剣。「イイネ!!」。

浴衣とコンバース

 横浜市中区本郷町で生まれ(病院は日吉でしたが)、幼い頃は本牧で過ごしました。そのころの本牧は圧倒的にアメリカで、基地の向こう側に並ぶ外車や、PX*で売っているレコードやファッションなど、すごくドキドキしました。
 フレンドシップデー、独立記念日、日米親善盆踊り大会など、青い目をした少女が浴衣を来て、足下にコンバースを履いて炭坑節を踊るし、演歌なロックや洋楽に和太鼓など、かなりとんちんかんな感じがたまらなくよかったです。アメリカに中国やら韓国やら日本やら、訳のわからない文化が、みんなごちゃ混ぜになっていて、横浜のオリジナルの文化が出来ていましたね。 
*アメリカ軍の基地内の売店(post exchange)

ボーカルなら空いてるよ

 小学生の時から、気が付いたら頭の中にすでに曲ができていたので「作曲家になるのだ」と思っていました。歌手やタレントなどは、スターになったら自由が利かないけれど、作曲家だったら、葉山とか逗子のいい所に住んで…夢の印税生活だ(笑)…まで考えていましたし。
 小学5年の時に、中古レコードの実演販売でステージに立ったのがデビューかな(笑)。目立つのが嫌いという訳ではなかったですが、それよりプロデュースとか、作曲、キャスティング、特にCM制作などに興味がありました。中学の時、大瀧詠一さんのやっていた三ツ矢サイダーのCMを見て「CMを作りたいのですが…」と三ツ矢サイダーに電話したことがあります。「代理店に言ってください」と言われ、広告代理店に電話をしたら、「レコード会社に言ってください」と…。そりゃそうですよね。今、思えばかなり迷惑な話ですし。
 中学で、バンドでドラムをやりたくて、荷物持ちから始めたのですが、ドラムのウェイティングが4人もいて諦めました。「ボーカルなら空いているよ」と言われ、「インストルメンタルの時、立っているだけだしな…」と困りましたが、ボーカルになることに。MCでしゃべることがなくて、叔父の口癖を真似て「イイネ!!」を用いるようになったのも、その頃からです。

DON'T THINK Feel!!

 以前、レコーダーを持ち歩いていたのですが、すごい量のデータを、全部消しちゃった事件があって、やめました(ずいぶん焦った割には全部覚えていたので…)。記憶だと、強い曲は覚えているし、弱い曲は忘れるけど、それでいいです。どんどん浮かんでくる中から、残る曲を、感じるままに作っていきますから、曲作りは速いです。
 レコーディングになると、短期間に缶詰でやるというよりは、いろんなことをやりながら、ギリギリのタイミングまでダラダラやります。今回も小泉今日子さん、中井貴一さんのドラマ「続・最後から二番目の恋」の劇中歌や、来年上映予定の映画の挿入歌など作りながらアルバムも作っていて、…2ヵ月くらいかかったかな。

Spark Plug

 僕らの年代って、世代的に非常に中途半端でして、加山雄三さんや堺正章さんのような大御所ではないし、まだ少し青臭くって、自分のことで精一杯。人を諭すとか、教えるとか、おこがましいし、「まだこれから」と、現役感もあるつもり。若さを意識しすぎて、若作りしたりしたら可笑しいし、かっこわるいですしね。昔は、大人って28歳から32歳くらいのことかと思っていたので、今、ドコを走っているのかと思うこともありますが、自分の感じるままに、身の丈で曲作りしたり、感性を表現するようにしています。その方が、若い世代も新鮮みたいです。
 車に例えるなら、僕らの年代的ではまだクラシックカーとは呼ばれない世代。でも愛らしくて、魅力あって素敵なあのころの車。切ない想いとか、夢とか、記憶とか、過ごしてきた時間を燃料にスパークだ!


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