ヨコハマ想い
「桜の如く健気に咲く花でありたい」
歌手 日野美歌さん
profile
1962年鎌倉市生まれ、玉縄中学、湘南学院高校卒業。横浜市在住。1982年に「私のあなた」でデビュー。同年12月に発売した「氷雨」が大ヒット、83年にはNHK「紅白歌合戦」に初出場。2008年には「横浜フォール・イン・ラブ」をリリースし話題を呼ぶ。「歌凛」の名で作詞を手がけるほか、横濱ジャズプロムナード2015への出演など幅広く活躍中。2015年4月には「知覧の桜」をリリース。
実家は鎌倉で、夏には江の島など海水浴によく行きました。水着の上に木綿のワンピースを着込んで、浮き輪も腰にくっつけて、おかっぱ頭に麦わら帽子をかぶり、とっても可愛かったですよ(笑)。父のバイクの後ろに乗って歌いながら海へ行ったのは、楽しい思い出です。
物心ついたころからよく歌っていました。小さいころから、歌手になりたいという強い気持ちがあり、両親も「この子は本当に歌が好きなのね」と歌を習わせてくれました。小学校6年生ころから本格的に歌の勉強をはじめ、大船から東京へ通っていました。
中学生の時には日本テレビの「スター誕生!」に出演しました。その時は惜しくもチャンスを掴めませんでしたが、プロデューサーの方が「君は歌がうまいんだから、諦めちゃだめ。これからだよ」と声をかけてくださいました。落選はしたけれど「諦めなくていいんだ。まだ私には道があるんだ」と晴れやかな気持ちでした。
19歳で「私のあなた」という曲でデビューしましたが、当時の演歌や歌謡曲の世界は甘くありませんでした。キャンペーンといって全国の酒場を歌い歩くのです。うまいねと応援してくれる人だけでなく、ジャマにされることもありました。当時はこうして何万枚もレコードを売って歩いたわけです。
この大変さは「歌が嫌いになりそう…」と思うほどでしたけれど、二十歳そこそこの小娘には良い経験でした。その後の「氷雨」は自分でもびっくりするようなヒット曲になりました。
ずっと演歌色が強い活動をしてきましたが、ほかのジャンルにもチャレンジしていて、10月には「横濱ジャズプロムナード2015」に出演します。
きっかけはインディーズで作った「横浜フォール・イン・ラブ」というアルバムです。ジャズが流れるカウンターバーや酒場で流れてもうるさくない、お酒を飲みながら揺れられるような、そんなアルバムを作りたいと思い、1940年代の懐メロをブルージーに、ジャズっぽいアレンジで録音しました。横浜に住んで約20年、暮らしているからこそわかる世界観や横浜愛を詰め込んだアルバムです。
たまに飲みに行くバーのマスターに「もし気に入ったらかけてくれない?演歌じゃないから(笑)」と渡したら「いいねえ!」と流してくれるようになり、「これ誰?」と口コミで私の活動を知っていただくきっかけになりました。
横濱ジャズプロムナードは私とはジャンルが違うと思っていたので「日野さん、今度出てよ」と声をかけていただいたときは「え!?私、ジャズシンガーじゃないですよ」と驚きました。
ジャズは自由な旋律なので、どう歌えばいいのだろう…と、まじめな性格なのではじめは悩みましたが、今では「横浜ホンキー・トンク・ブルース」だってガンガン歌っています。
横濱ジャズプロムナードに出演するのは2回目です。ここでも「氷雨」は歌わなきゃね!と「氷雨」ジャズバージョンも試しました。年を重ねた人が、やさぐれながら飲んでいる感じで、意外としっくりきました。今回のライブでも大人の秋の夜の風情をお届けできればと思います。
数年前、鹿児島の友人に、知覧へ連れて行ってもらいました。特攻平和会館やホタル館という、特攻隊の若者たちが通った食堂の跡地に造られた資料館があります。ホタル館には、赤裸々な手紙や遺品がありました。夢もたくさんあっただろうし、愛する人もいただろう。平和のためにと言いながら、こんなことはおかしいという気持ちもあっただろうと思い、号泣してしまいました。
この歌は、特攻隊員たちの想いと、送り出した側の想いが入り交じった、こんな悲しいことは二度としてくれるな、という祈りを込めた歌です。戦後70年がたちましたが、この悲しみをどう今の時代につなげるかが大事です。
いろいろな人たちの命の柱の上に、私たちは生かされているということは確かですね。
◆4月22日リリース「知覧の桜」
作詞:歌凛/作曲・編曲:馬飼野康二 定価1,204円+税(日本コロムビア)
◆「横濱ジャズプロムナード2015」10月10日(土)・11日(日)前売券好評発売中
日野美歌さんは11日(日)19時~出演 ※会場:KAAT神奈川芸術劇場
詳しくはHPまたはお問合せを
問合せTEL.045(211)1510 同実行委員会事務局