ヨコハマ想い
女優・プロデューサー 五大 路子さん
profile
横浜市港北区出身。桐朋学園演劇科に学び、早稲田小劇場を経て新国劇へ。NHK朝のテレビ小説「いちばん星」でテレビ主役デビュー。1999年横浜夢座を旗揚げ、一人芝居「横浜ローザ」で横浜文化奨励賞受賞。2008年、横浜の地域文化振興に大きく寄与したとして、第29回松尾芸能賞演劇優秀賞を受賞。2011年、第46回長谷川伸賞受賞。2012年、横浜文化賞受賞。
メリーさんと出会ったのは1991年の横浜開港記念みなと祭。私の立つ反対側にメリーさんが立っていました。真っ白に塗られた顔、白いドレス、凛とした眼差し。衝撃を受けました。「あなた、私の生きてきた今までをどう思うの?答えてちょうだい」と問いかけられた気がしたのです。メリーさんをもっと知りたい。その日から取材が始まりました。取材を進めるにつれ、メリーさんの人生を狂わせたのが「戦争」であったことにたどり着きました。戦争によって強いられた「生きる」ための方向転換、人生の全てを奪われた人たちの想い。メリーさんが今を生きていたらどんなふうに思うだろう、どんなことを見るだろう。彼女と確かに握手をし、話をし、命の問いかけを聞いた私が、答えを探さなければいけないと思いました。
今年2月に閉店した馬車道の老舗洋食レストラン「相生(あいおい)」から、メリーさんが使っていたコーヒーカップを譲り受けました。バラが描かれたそのカップはメリーさん自身が買ってきたもの。そこにはほかのお客様への配慮があったと聞き、女性としての一面を垣間見た気がしました。
「人を愛すること」と「生きることをあきらめない」メリーさんの健気さとたくましさを、私は「平和や愛のポエトリー」として、戦争を知らない世代に伝えていかなければいけない。「メリーさんの後ろにいる何十万という人々の想いをのせ、日本の戦後史を書く」と脚本家の故杉山義法さんが書き上げてくれた作品が「横浜ローザ」です。当時の辛さ、苦しみを知らない私が演じてもいいのだろうか?と悩みましたが、メリーさんと同じ時代を生きた方に「私らね、青春をちょん切られたんだ。男も、女も。だから五大さん、やってちょうだい。きっとメリーちゃんも喜ぶよ」って言ってもらい、1996年に初演を迎えました。ただ、メリーさんは横浜にいませんでした。観てほしかったですね。
公演を始めた20年前、当時4歳だった息子に「家族を寂しくさせて何になるの?」と問われました。私は「思ったこと、信じたこと、やらねばと思ったことは、点をたどっていくと地球の裏側に行くのよ」と話しました。その息子が今回のNY公演の前に「素敵だよ。現実になったね。頑張ってきて」と言ってくれました。公演後のレセプションでは現地の方に「戦争によって翻弄された女性の居場所を、今あなたは与えたのですね」と言われ、胸が熱くなりました。人が感じて発する魂は、国や人種を越えて伝わるんだな、と。一人の人間として、女性として、俳優として、私はこの作品をやり続けなきゃ!と改めて思いました。夢は信じて、求め続ければ叶うのですね。
16歳のころ、「横浜は東京の地方都市」という位置づけに抵抗がありました。いつか横浜から日本中に、世界中に演劇を発信したい、そう想い続けて旗揚げしたのが「横浜夢座」です。横浜という街の中に埋もれた宝物を追いかけ、掘り起こして命を与える。渡辺はま子、山本周五郎、長谷川伸、花月園、武蔵屋、横浜ドリームランド…。ふっと埋もれていること、知りたいことが浮かぶのです。思いついたら即行動、取材を重ね、一つひとつの出来事にもう一度自分で出合っていく。体力が続く限り、ずっと探し続け、演じ続けたいと思っています。これから8月の「横浜ローザ」凱旋公演に向けて稽古が始まります。海を渡ったメリーさん。昨年とはまた違ったメリーさんが生まれるはず。今からワクワク、ドキドキしています。