TOP > 地域情報紙 > ヨコハマ想い vol.22 落語家 金原亭 馬生氏

ヨコハマ想い


「自然に生きる」
落語家 金原亭 馬生氏

profile
1947年銀座木挽町生まれ。69年十代目金原亭馬生に入門。87年真打昇進。99年に名跡十一代目金原亭馬生襲名。古典から新作まで幅広い芸域を持ち、人情噺・芝居噺といった噺ができる数少ない噺家の一人。NHKラジオ深夜便の「深夜便落語100選」解説。一般社団法人 落語協会理事。

江戸時代から明治に盛んだった素人芝居。なかでも噺家が演じる芝居を「鹿芝居」と呼ぶ。一時絶えてしまったこの「鹿芝居」を復活させたのが十一代目金原亭馬生師匠だ。横浜でも鹿芝居の普及を続けているほか、大道芸とのコラボなど縁が深い。2月には馬生一門による公演も控えている。

ラジオから聞こえる落語

 私が子どものころは、家では朝から晩までラジオが付きっぱなしでした。夕方になると、落語や講談、浪曲といった番組が多く流れていて、落語ってのは面白いなと聞き入っていました。
 実家は雑貨や荒物、化粧品などを扱う商売をしていました。店番をしたり配達をしたり、小さいころから手伝いをしていましたし、当然私はお店を継ぐのだろうと、皆思っていました。
 いよいよ継がなければいけないか、という時にやはり「好きな落語をやりたい」という気持ちが強く、一人で先代の馬生の自宅を訪ねました。
 2階の窓から「なんですか?」と顔を出したので「弟子にしてください」と頼みました。「今は弟子が大勢いるから、私はとりませんよ。圓生師匠のところへ行ってごらんなさい」と言われましたが、「私は馬生師匠の弟子になりたいです」と伝えると、「一人で来たのかい。まずは一度、親を連れておいで」と言われました。
 反対している親父に、いっぺんでいいから一緒に行ってくれと頼み、連れていくと、師匠が「どうせ務まりませんよ。ちょっと通わせてみたらどうですか?」と言ってくれたのです。親父も「じゃあ…」って通わせてもらえることになりました。

横浜のお客さん

 横浜では大道芸が盛んですね。ジャグラーやパントマイムの方とドッキングして「うま野毛寄席」と題した落語会をしたり、樹木希林さんのご実家である「叶家」さんでも落語会をさせていただいたり、私にとっても縁の深い場所です。
 また、「横浜にぎわい座」はとても良いところです。我々もやりやすい、お客さんにとっても観やすい、素晴らしい劇場ですね。
 横浜は素敵な街で、お客さんが浅草あたりとは違います、とても上品ですね。浅草だと下ネタに喜んでゲラゲラ笑う。一度、同じ調子で横浜でやったことがあり、その時はシーンとなった…。それ以来、横浜では下品なことは発しないように気をつけています。(笑)

噺家による伝統の芝居

 江戸、明治のころは娯楽というと一番はお芝居でした。今でも地方に行きますと村芝居が残っているように、江戸の町中では素人芝居ってのが盛んだったそうです。
 町内や同じ職種で集まって芝居をする。また物書きの先生方がやる文士劇っていうのもありました。江戸時代には噺家も芝居をやっていて、鹿芝居っていうのは「はなしか芝居」がつまった言葉です。

落語と芝居、実はとても近い

 芝居といえば歌舞伎がありますね。時代物や世話物とジャンルがあり、世話物は庶民の生活を描いている芝居です。その中には落語をネタにしたものもたくさんあるのです。
 江戸から明治にかけて三遊亭圓朝という人が芝居噺で大きな評判を得ました。鳴り物が入ったり、背景がバタッと倒れて景色が変わったり、そういう道具仕立ての芝居噺の元祖は、初代の馬生なんです。
 一時、落語家の芝居が絶えてしまいましたが、我々の世代でもう一度復活させたわけです。
 素人芝居とはいえ、ふざけたり、間違ったりして笑いをとるのでは嫌ですね。「間違える分にはしょうがないけども、間違ってウケようってのはやめてくれ」って座員に言ってあるんですよ。亡くなった坂東三津五郎さんにはよく稽古に来てもらい、台詞回しや所作を本物の役者さんから教わっていたんです。本格的でしょう。我々は、皆さまにご満足いただけるように日々精進しております。ぜひ生で落語や芝居を見ていただければ、こんなに嬉しいことはありません。

「よみうり寄席」 落語と鹿芝居「品川心中噂達引 四場」

◆2月22日(月)13時開場、14時開演 ◆横浜にぎわい座
◆木戸銭/3,000円(自由席) 
◆申込み/ヨコよみプレイガイド

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