ヨコハマ想い
(公財)松山バレエ団 理事長・団長 プリマバレリーナ
森下 洋子氏
(公財)松山バレエ団 総代表
演出・振付家、舞踊家
清水 哲太郎氏
profile 森下 洋子氏
1948年、広島市生まれ。3歳よりバレエをはじめる。1971年、松山バレエ団に入団。松山樹子に師事。1974年、ヴァルナ国際バレエコンクールにて金賞受賞。エリザベス女王戴冠25周年記念公演など海外でも幅広く活躍。英国ローレンスオリビエ賞など数多くの賞を受賞。1997年、女性最年少の文化功労者に。2001年、松山バレエ団団長就任。プリマバレリーナとしてほとんどの公演に主演。
profile 清水 哲太郎氏
1948年、清水正夫、松山樹子によって創立された松山バレエ団に長男として誕生。1974年ヴァルナ国際コンクールに森下洋子と出場、ダブル受賞となる。芸術選奨文部大臣賞など受賞多数。2005年には紫綬褒章を受章。現在、松山バレエ団のすべての作品の演出・振付・振付改訂を行い、団長森下洋子とともに海外公演など文化交流にも積極的に力を入れ、舞踊芸術界を牽引している。
松山バレエ団は1948年の創立以来、日本のバレエ界を牽引する名門バレエ団。バレエを通してたくさんの人へ幸せを届ける。
清水 横浜の港は松山バレエ団初の海外公演を運んでくれた所で、思い出深い場所です。これまで横浜ではさまざまな所で公演をいたしました。神奈川県民ホールができる前は、青少年文化センターや学校の講堂、体育館、公会堂での公演もありました。
森下 横浜は文化にあたたかいところ。舞台に立っていても感じます。すごく喜んでくださるので、私たちにとって大きな励みになります。
私たち、横浜での舞台が終わると中華街が近くなのでよく行きます。どこのお店でも「お疲れさま」って言ってくださるんです。お家に帰ったような気持ちになって。ありがたいなと思っています。横浜の方々、中華街の方々とは先代からのお付き合いで、育てていただいたという気持ちですね。
清水 文化芸術は、オペラやバレエ、西洋音楽などさまざまあります。その中で、クラシックバレエというものは、精神性と肉体性の極地のような芸術です。人間がつくり出す芸術で最も美しいものだと思います。
ところが、生身の肉体を使う芸術なので、水物という面もあります。良いものをつくるには、日々トレーニングを積み、心を磨かないといけない。
森下 肉体と精神を鍛えることには終わりがないから楽しい。とても幸せですよ。こうしてみよう、ああしてみようといつまでも考えられます。私は3歳でバレエをはじめて、小学6年生で一人東京へ。出会ってから今までもずっと、私はバレエだけ。60年以上踊っていますが、ずっと続けてこられたということは、両親も含めて周りの方の支えがあったからこそ。こんな環境を与えてもらえるって、とても幸せなことだと思います。
清水 松山バレエ団には「芸術は人々の幸せのために」という理念があります。芸術は一部の人の慰みものでなく、「人類の希望物語」で、皆さんを鼓舞して、勇気づけて、幸せを届けるものと考えています。
ですから、小さいお子さんから大人の方まで、芸術というものは自身が習得したら人様に捧げるものだという教育の根底があります。バレエを、美を、たくさんの人々に伝える。すると自分も美しくなる。こういう理念を中心において芸術活動をやっています。
それには美の訓練をすること。まず自分が美を自分の中から出す。美を認識する人間になることで初めて外の美も分かる。美を自分の中から出すには、身体が固いから、太っているから、ということは関係ありません。自分の中の美を信じることです。芸術の本質を、クラシックバレエを通して表現していけたら、素晴らしいなと思いますね。
森下 そうね、信じないとなにも進まないし。信じることはすごく大事。バレエは美を体現する芸術ですから信じる心を持つと全然ちがいます。ただ技を見せるのではなくて、自分の中の美を信じて、出会えたことに感謝と喜びを持つと全然ちがうものになります。芸術を学ぶ醍醐味でもありますね。
清水 多くの方が美に触れて、ご自分の美を引きだすということが、どれほど生活するうえで素晴らしいか。60歳70歳から始める方もいらっしゃいます。
森下 ただ、人間だからなかなか完璧にはできないですけどね。そう思って生きて、大切にしていくと違うと思います。私たちはバレエに出会えて、続けさせていただいている。そのご縁を大切にしたいと思いますし、それならば毎日、明るく、ハッピーに自分を保ちたい。思うことは自由ですから、そういう思いをもって、一日一日を過ごしたいなと思っています。私は一歩一歩、気がついたら長く続けていました。美に近づくように信じることは尊いこと。これからも信じていきたいですね。